| NO.877680 ・優しい時間さん(男性/56歳)
 2014/09/22 01:25:16
 
 | ご指名ありがとうございます。 
 覚えてますよ。。。あの時のゆきみさんですね?。
 
 私もね若い頃は、貴女のように身なりを誹謗中傷されたものです。
 
 言葉はこうです。。。
 「男のくせに赤いシャツ(あるいは花柄)を着るな!」とか、
 「そんな恰好で近所を歩くな!」とか、
 「帰ってくるなら(実家に)終電で帰って、始発で出ろ!」とか、
 「その長い髪はなんだ!、お前はオンナか?!」とか、
 「お前のことを近所の人はどう言ってるか、知ってるのか?、親として恥ずかしい」とか。
 「お前は狂ってる」とかね。。。
 面白いでしょ???。
 
 高校時代は、校則違反の常習犯。。。職員室呼び出しの常連でしたね。
 
 ま、それでも大人の意見には屈しなかったですね。
 強情ったらありゃしない。。。(笑)。
 
 どんなことをしても自分のアイディンティーは崩さなかった。
 
 でもね。。。凄く「焦燥感」に駆られましたね。
 孤独感で。。。なぜ、理解されないのか?って。。。
 
 挫折しそうになるたびに「悲しくてね(悔しいというか)」。
 
 そんな時、私にも生きる場所がございました。
 それは大学生になった時。
 そこには(芸大)、私と同族がたくさんいました。
 その概念を肯定してくださる教授もおられました。
 「嬉しかったですね」。
 自分のアイデインティーは、間違ってないとの確信を得たようで。
 
 既成概念というものは、「曖昧」ものなのですね。
 常に変貌するものでもあるのですよ。
 
 それに違和感を持つ者もいれば、寛容である方もいます。
 人それぞれ。
 
 そこには常に「屹立(きつりつ)」したものなんてないのですよ。
 
 ファッションやアートには、たとえ「汚辱的であっても、華やかな混乱」もあるのです。それが素晴らしいと感じる感性もまた、センシビリティーな感受性ともいえる。
 だから「面白い」んですよ。。。そこに「感動」もございます。
 
 ピカソだって、初めてその作風(キュービズム)に大衆が触れた時、その違和感に否定されたものです(既成画風に対するアンチテーゼ)。
 60年代、イギリスのモデル「ツイッギー」が初めて「ミニスカート」なるものを履いた時、世間は驚嘆しました。
 はしたないと誹謗する者も大勢いた。
 でもあれから数十年、今はミニスカなんて当たり前ですよね?。
 ビートルズが来日した頃、男性の「長髪」なんて誰も認めようとしなかった(時に呼び止められ罵声さえあびさられた時代)。
 でもどうだろう。。。昨今のイケメンと言われる男の子たちは、TVの画面の中でその姿を輝かせています。
 時代の変遷と既成概念の変貌は常に符合しています。
 何がいけないか否かなんて、固定観念が作り出した偏見に他ならない。
 
 自分の概念が、認めないものは拒否する。
 それは自分の観念を否定されたくないから。つまり「それ」を認めることはが怖いから。
 感性が及ばないものには蓋をされる。ただそれだけのこと。
 
 「自由であること、自然であることが一番強い生き方」だと私は思います。
 それは、音楽やファッションやアートに留まらず、生き方としても。。。
 それと、自己を演出出来る者は、自分を客視出来るものです。それは包容力にも繋がると思いますので。。。
 
 自分の感性を信じることですね。
 ゆきみさん、ご自分を信じればいいのです。
 「自分を頼みとする生き方は、自由であるための生き方でもあるのだから」。
 
 
 それと家族の問題ですが、
 長文ともなりますので、私の過去の回答を参照くださればと思います。
 
 No.181425
 No.181460
 No.181425
 No.181467
 No.181479
 No.181494   等
 
 それでは、また。。。
 
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