悩み相談 悩みウェブ

悩みウェブ -悩み相談コミュニティ-

全カテゴリから検索 このカテゴリ以下で検索
恋愛の悩み(18歳以上)/ 恋愛の悩み(17歳以下)/ 性の悩み/ Hの悩み/ 妊娠の悩み/ 結婚の悩み/ ダイエットの悩み/ 身体・美容の悩み
ファッションの悩み/ 病気の悩み/ 家庭の悩み/ 人間関係の悩み/ 心の悩み/ 夫婦の悩み/ 育児の悩み/ 家事の悩み/ 料理の悩み
仕事の悩み/ 学校の悩み/ 勉強の悩み/ 将来の悩み/ お金の悩み/ ペットの相談/ パソコンの悩みNEW/ その他の悩み/ 疑問・質問/
アンケート/ テレビの話題/ 芸能人の話題/ 指名して相談
TOP > 心の悩み > 封印されていた虐待の記憶を思い出してしまいました

心の悩み

投稿情報 内容
NO.191867 封印されていた虐待の記憶を思い出してしまいました
えりるさん(女性/31歳)
2016/11/16 20:17:15
去年大好きな人と結婚した31歳女です。
17歳の頃に精神的に不調が出てからこの歳までずっと心療内科にかかり薬を飲んできました。
でも対処療法にしかならず、薬を飲むほどに悪化してきていたので、9月に減断薬しました。
カウンセリングには10年通っていて、だいぶ落ち着いてきたのですが、先日何かの拍子に自分の幼少期の頃に両親から虐待されていたことを鮮明に思い出してしまいました。
私はもともと感受性が強すぎるのとセンシティブな性格なのですが、今までカウンセリングに通っていても虐待のことは自分の中では封印されていてあまり触れませんでした。
それが何かのきっかけで精神的にも身体的にもあった数々の虐待を鮮明に一気に思い出してしまい、つらいです。
両親は健在で、今は良好な関係です。
以前両親に虐待のことを、つらかったと話したこともありましたが、覚えてないと言われてしまい、無かったことにされています。
今の両親を責める気持ちはないのですが、私は当時から傷ついたまま成長が止まっています。
自分の中にぽっかりと寂しくて真っ黒で底なしの空洞があります。
楽しい時でも突然涙が出てきてしまったり、家に一人で居ると起き上がることもできず、最近は夜になると泣いてしまい眠れません。
アダルトチルドレンや認知行動療法など自分でいろんな本を読み漁ったりもしましたが、向き合いすぎてつらくなってしまいます。
何が言いたいかわからなくなってしまいました。
希死念慮は今のところありませんが、消えたいという気持ちはあります。

投稿を締め切りました。




投稿情報 内容
NO.916882
えりるさん(女性/31歳)
2016/11/28 23:08:10
もうどなたも見ていないと思いますがその後です。
自分の空虚な部分に飲み込まれそうになり、誰かに「大丈夫」と言ってもらいたくて、夫にひたすらLINEを送り、なかなか既読にならずパニックになっていた時、自分で自分に「大丈夫だよ」と語りかけていました。
幼い頃に愛情が満たされず成長が止まったままの自分に、大人になった私が慰める感じで、もっと両親に愛して欲しかったことや、抱きしめて欲しかった…そして今は自分がついているから大丈夫だよと自分の体をさすりました。
その日から、だんだんと自分のことが好きになり、日によって波はありますが、「自分から離れていく人がいても、誰かが私を嫌いでも、私は自分のことが好きなので大丈夫」と思えるようになりました。
気にはしますが、それでも誰かの判断で自分の存在価値が左右されたり、自分も一緒になって自分を見捨てたり傷つけたりということをしなくなりました。
自分で選択して決める、決めたことを実行して、自分のしたことに責任を持つ。
それと、自分の問題と他人の問題、感情、感覚がごっちゃにならないように、なるべく意識して過ごしました。
一番良かったのは、問題を自分だけで解決しようとしていた時はうまく前に進めなかったのですが、自分のことが大好きだと思えるようになった途端に、今まで周りにいた人たちのことを大事に思えるようになり、その人たちの本当の部分に触れてみたいとも思えるようになりました。
うまく言葉に表せませんが…
そしてこの問題を通して、母親との問題(共依存、自尊心の欠乏など)、父親との問題(男性不信、恐怖、人間不信など)を乗り越えられた感じがします。
危うく死にそうにもなりましたが、なんだか大きく成長できた気がします。
ありがとうございました。

投稿情報 内容
NO.916746
えりるさん(女性/31歳)
2016/11/19 17:50:22
満月さんも、優しいことばをありがとうございます。
時代的な要素もあったのですね。
それに加え、受け取る側の私も敏感に真正面から受けてしまう性格なのもあり、響きすぎてしまったのですね。
過去に飲み込まれそうになっている現状は、自分では全く気付きませんでした。
言われてハッとしました。
私は自分の行動や気持ちに何かと意味や理由、根拠を持たせようとするところがあり
、考えすぎて身動きができなくなり日が暮れて夜になるまでジッと考え続けてしまいます。
でも、前の方もおっしゃっていますが、余計なことは考えず家事をしたり好きなことをして過ごすのは今の私に一番必要なことだたと思いました。
体を動かすことは無心になれそうですね。
私はここにいるけれど心は遠い過去に置いてきてしまっている感じなので、今の実生活に心を持ってきたいと思います。
親の愛がもらえなかった幼少期の私はまだここに居ますが、大人になった今の私ができるだけ愛情をかけて過ごしたいと思います。
出かけないけどメイクやネイルをしたりいい匂いのシャンプーで髪を洗ったり、スキンケアをしたり…
それでも胸のあたりに締め付けられるような重くてズッシリとした塊があり息苦しさは消えませんが、とにかく体を動かしたいと思います。
なるべく、シンプルに心がけたいです。
お二方とも、ご助言ありがとうございました。

投稿情報 内容
NO.916736
満月さん(女性/63歳)
2016/11/18 18:47:49
あなたのご両親は私とそんなに年が変わらない世代ではないでしょうか。

私たちの子供のころには、親や教師や警察官などのの権威が侵されていない時代でもありました。
近所で体罰を受けている子供も沢山いましたし、それを当たり前と感じている大人たちがいて、でもあまりひどいことをするようなら誰かが止めに入ったり、仲裁したりしてなんとかなっているような状況も多々ありました。

私の兄たちも小学生の時は、宿題を忘れて大きい木製の三角定規でおしりをはれ上がるくらい叩かれて帰ってきたこともありますが、それに対して両親は「自分が悪い」と頓着するようすもありませんでした。
今なら問題になるような出来事も、親だから、教師だから、医者だからと、少々のことにはそのころの大人たちは目を瞑っていました。^^;

そんな時代を生きた私たちの世代は大体において二通りにわかれた考え方があるように思います。
そのころの大人たちのやり方を踏襲して、子供に体罰をくわえたり「親」だからと高圧的になるタイプの親と、戦後の民主主義を肯定して、相手が子供ではあっても人権があると考えて人権を尊重する親と…。

その比重は人それぞれですが、えりるさんのご両親は前者であり、あなたを虐待したとは思っておらず、躾の範囲内だと思っておられるのかもしれません。
でも、現代ではどちらかといえばそんな親は少数派ですものね。

えりるさんも、もしまわりが前者のような親たちばかりだとしたら、それに対してそんなに拘らずに成長されたのかもしれませんね。

記憶というものは、特に悲しかったり辛かったことを鮮明に覚えていたりしますが、あなたが今の年になるまでの膨大な時間を考えてみてくださいね。
そんな辛く悲しかった時間はどれくらいのパーセンテージでしょうか?
その他の時間は穏やかであったり、ほどほどに幸福だったのではないですか?
(覚えていないということは、そういうことだと思います。)
ものごとは捉え方次第でどのようにも考えられます。

過ぎ去った過去より大切なことは、「今」です。
目の前の「大好きな人と結婚できた」という幸運に背を向けて、実態のない過去を見ていたらどうなると思いますか?

「今」を大切にしてください。
大好きな人と出会えて結婚できたという幸せを大切にしてください。
あなたの不安な気持ちは、彼を大切に思っていて「失いたくない」と強く思っているからです。
そんな気持ちは全然普通のことですよ。^^
あなたの「過去」のせいではありません。

不安になった時には、体を動かすことです。
彼が喜ぶようなことのために考えたり、体を動かすことです。
たとえば、二人が住んでいる自分たちの家を掃除すること。
彼の好きなお料理をすること。
体を動かしたり何かを熱心にしていると「無心」になれます。
無心になることが心の健康に一番良いことですよ。

つまらないことを考えそうになった時には無心になれるようなことをしてみて下さいね。
優しい音楽を聴いたり、おなべを磨いたり掃除したり、あなたの好きなことで夢中になれることがあれば何でもいいと思います。

あなたの実体のある「今の幸せ」をしっかりつかんで離さないようにしてくださいね。^^


投稿情報 内容
NO.916723
えりるさん(女性/31歳)
2016/11/17 17:11:28
ナインさんありがとうございます。
こんな投稿に反応いただけてありがたいです。
反面教師、本当にその通りですね。
親だって完璧な人間じゃないんだと言うことですよね。
虐待の記憶が蘇ったきっかけが、夫に対する嫉妬と束縛、どれだけ愛情を示してもらっても信じられない自分に異常を感じたからです。
言葉や態度だけでなく、私のためや家庭のためにしてくれた事から愛情を感じ取ろうとしていますが、見捨てられる不安や今の幸せにはいつか必ず終わりがくるという最悪の結末のストーリーが頭の中で再生されてしまいます。
それが自分のなかで作り出している妄想だということにも最近気づきました。
それでも息が苦しくなり脈が異常に速くなり指先が震え気が遠くなります。
最近は食事をすると戻してしまいます。
でも向精神薬や精神安定剤などはもう懲りたので薬を頼らず克服したいと思っています。
ナインさんがおっしゃる、ただ生きるというのがやりたいです。
難しく考えすぎなのですかね。
投稿、保存して時々見返しながら生きていきたいと思います。
ありがとうございます。

投稿情報 内容
NO.916722
ナインさん(男性/99歳)
2016/11/17 14:53:34
全然関係ねぇ引き出しから話すが、まずは夢占いでみる「教師の夢」の解釈だ。
その解釈には2通りあって、ひとつに「自分を助力し導く存在」という意味と、もうひとつに「ストレスを与える存在」とある。 言わば双方が対極に位置するような別々の意味を持っている。

じゃ、つまり何かつーと、自分という者を成長させるためには「外的にプラスな要因とマイナスな要因が必要だ」ということを、この解釈で物語っているわけだ。平たくいえばアメとムチみたいなもんだ。その2つが揃ってねぇと人は成長できんとも言える。

そこで、きみの現状をみてみろ。
大人になって好きな相手と結婚している。自分の想いを分かりやすく言葉にして第三者へ伝えられている。これは、成長してないガキでは出来ないことだ。

理解できたと思うが、その辛酸な過去があってこその今の自分だ。
虐待され続けても成長できねぇし、甘やかされすぎても成長できねぇ。イヤな過去があるからこそ得るモノがクソほどある。教師には反面教師としての側面もまた必須になる。まずこのことをしっかり認識しろ。


そして、次にセンシティブな奴ほど「善良」か「邪悪」に惹かれやすい。
ようは純粋な奴ほど「宗教バイブルのように形骸的なモラルやルールや一般常識なんてものに囚われた見方だけをして生きようとする」か、逆に「酒だの異性だのといった物で得る自我忘却にすがって生きようとするか」のどちらかになりやすい。

このうちどちらが人として正しい姿なのかと言えば、どちらも別に正しくはない。センシティブな奴ほどどちらか側に「極端」に傾くので、結局、それが一番悪い結果を生む。
てのも、極端に囚われる姿は偏見による依存しか育まないので、問題解決するハズの脳みそがパッパラパーになって問題ごとの原初である「考え方」という「モノの見方」を盲目にするからだ。

巷で、子に対する親の虐待や家族間虐待が妙に騒がれたのは近年になってからだ。ひいてはガキにゲンコツくらわせるだけでも虐待、1日飯食わせなかっただけで虐待、スマホ取り上げだけで虐待なんぞという始末。

これに対して昔の人間なんてもんは、もっと非道な子の扱いを平然とやっている。養えないので川に捨てるだの、近親レイプだの、故事歴史には、まあそんな類のな話がヤマほどある。「それよりマシだろ」という話ではなく、親による子供への強制的かつ一方的な行いというもんは、前述の教師話のように、その量や質を問わずに必然性として“在ってあるべき本来の姿”ということだ。
全くもって虐待を推奨している話じゃねえが、親から受ける抑圧やストレスは、それがあるからこそ其処から自立し、自分が新たな家庭を持つための必然性つー話しになる。


で。今のきみに底無しの空洞が出来たことはむしろ喜ばしいことだろ。人は傷つかなければ分からないことだらけだからな。今までのきみはその傷つきにフタをして、つまりは自分が傷つく様子を見て見ぬフリして生きてきたようなもんだ。見かけや知能はご立派な大人であっても核にある魂はガキのまんまってことになる。

良い機会なんだよ。いい加減に大人になれって話だし、ガキが結婚して子供産んだところで上手く育てられるわけもねぇ。ようやく傷つきに耐えて考えられる人間にまでは成長したので今その機会が与えられたと考えるべきだ。

親が虐待のしらを切ってるからで凹んでどうすんだ。誰だって自分の罪なんておいそれと認めたくないだろ。んなこと期待したところで大して意味もない。自分が持つ新たな家庭でそんな親にならなければ済む話、それを反面教師で教えてくれたのが憎さと感謝を感じる「親」という存在だ。

アダルトチルドレンだの認知療法だの、それを克服する書物読んだところで、自分を愛しましょう!だのおざなりで横暴な方法論しか書いてねぇよ。向き合ったところで感傷に拍車かけるだけだ。ああいうもんは単なる医学や善良過ぎスピリチュアリズムからの良い子ちゃん向け教科書でしかない。

重要なのは、んなことイチイチやたらに考えずに夕飯作って洗濯してマンガなりテレビなり見ること。突然涙が出ることも無気力感で起きれないことも案外と誰にでもあるもんだ。そして、そういう時はそうしとけ、あくまでも掃除だの飯だの実生活を優先したなかで、テキトーに休んで泣くなり布団に潜って寝るなりオナニー三昧なり好きにしろということ。

暗い穴を補充するのは考え方と現実的行動だ。補充するために生きるのではな、穴が開いてることを自覚してなお、それを過度に意識せずに生きていこうと生活することで、いつのまにか補充されてるものになる。





Copyright(C)悩みウェブ. All Rights Reserved.