NO.279412 ・ひいるさん(女性/18歳) 2008/04/07 00:21:43
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もうお返事は来ないかなあと思いつつ、来てみてよかったです。 四谷さん、二度目のお言葉、ありがとうございます。
考えた末の理屈で納得できるのではない…なんとなく解った気がします。 何時も追い込まれるような気持ちが生活の中にありました。 ひとつのことを気にし続け、気にしなくていいといわれたら 気にしないようにとまた追い立てていくような、そんな感じでした。
どうしようも無いほど自分を煮詰め、分析し、考えて、 勉強のように傾向と対策を出すような、だけど結局何もできなくて…。 それはやっぱり、気持ちは理屈じゃどうにもできなかった、 ということなのかもしれませんね。
友達に対して、どうにか笑わせなきゃと思ってジョークを言ったりして、 面白い子と言われることはあったけれど、自分自身の本心では 全然バカにはなりきれていなくて、何時もそれがいやでした。 考えすぎて苦しんでいる反面「みんなより深く考える自分」 「他の人が考えもしないようなことを思い巡らす自分」と、 何故かそれさえ心の拠り所にしてしまっているところがあって、 そのせいでなおさら気難しい一面を捨てられずに居ました。 また、頭が悪いと、考えが浅いと人に笑われるという思いもあって。
けれど、心の底では少しぐらいバカでもいいから、 自分に素直に、気楽にありたいという思いがあります。 昔一度だけ、そうしていられる仲間たちと過ごしていたことがありました。 訳あって、今はもう会えない人たちですが、最近しきりに思っていました。 あの頃の自分が凄くうらやましいけれど、もうああはなれないと。
何時も頭の中で納得できるまでは駄目だという気持ちがありました。 本当は、自分で自分を苦しめていくのもやめたいと思っていました。 けれど、自分はそう簡単に許してはいけないんだという思いが 何故か消えずに、何時も考えてはより自分の首を締めていました。 けれど、声を出す、身体のほうから働きかけるというやり方もあるのですね。 何だかひとつ教えていただいた気がします。
まだ学校に戻る気も、仕事をする気も起こせなくても、 やりたいことがあったら、行きたい場所があったら。 何か思い立ったら、身体から、声から動かして迷わずやれたらいいなと思えました。 そして何時かは、必要の無いプライドや心の拠り所は ばっさりと捨て去って、ありのまま、それなり気楽に生きてみたいです。 すぐにはできないとは思うけれど、何かに気づいた気がします。 ありがとうございました! |