NO.424105 ・ぐったり侍さん(男性/27歳) 2009/02/15 00:01:16
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あー、たぶんですね、「偽りの自分」なんてのも所詮は「本当の自分」なんてのと大差ありません
「偽りの自分を演じている」なんていうんなら、そりゃ「演じてる」のが居るってだけで、結局は自分の「一部」だからです
んで、「苦しい死」もありません。逆に「快楽の死」もありません。 「苦しい」のも「楽しい」のも生きているものの特権です。 苦しいか楽しいか、はたまた快楽かなんてのは、全部「死に行く過程」のものです。 事故で死んだとして、その直前までがどれだけ苦しかったとしても、「苦しんでいる」のは生きているからです。 そんでそれは結局、「今の生活」の延長でしかありません。 だって私達、常に死に行く過程に滞在してるんですから。 それをどこで切り取るかに過ぎません。
そして、できる限り自分が幸せになるような努力をすれば、自分が死ぬギリギリの「生」が、幸せに思える可能性が高くなる、ってだけ。 だから、何気ない日常をどれだけ楽しめるか、楽しめないなら楽しくするかってことに、みんな一生懸命なんです。
社会に不満があるんなら文句言えば良いし、行動すりゃいいし、文句言う勇気が無いなら黙ってりゃ良いんです。行動したく無いならしなきゃいいんです。
そしてそれらもまた、生きてるものの特権です。 |