NO.678417 ・匿名希望さん(男性/18歳) 2011/04/03 05:31:39
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あなたのその悩みは恐ろしい程に正しい。 我々は何故生まれてきたのかも解らず、何をなすべきかも解らず、例外なく死んで行きます。 歴史に名を残すような偉業を成し遂げても、貧困に喘ぐ日々を送っても、結局は死ぬのです。 誰かの為に何かをしてもその人はいずれ死に、自分もまた死にます。 人々の記憶や記録は時が経つにつれ消え失せ、遠い未来には我々の住む地球も、この宇宙自体も消え失せてしまうことでしょう。 そんな中でふと自分に立ち返り、生きるとはなんと虚しい事かと感じ入るのはおかしな事ではないのです。 しかし、我々の内の多くの者は、この問題へ向き合う事を他の事に打ち込むことで避けたり、 このような事で悩むのは青いと茶化したりするのです。 これらは真摯な態度とは言えませんが、仕方のない事でもあります。 確かに、四六時中死について思索を巡らせていては冷静ではいられなくなるでしょう。 ラ・ロシュフコーが「太陽と死は直視できない。」と言う言葉を残していますが、これらの正鵠を射た言葉です。
残念ながら、生きている間にあなたのその悩みの答えが出る事は無いでしょう。 生者には死後を知る事は出来ません。 いくら死後の成り行きを悟った気になっても確証が無いのです。 又、死後の成り行きが皆同一であるかどうかもわからないのです。
あなたに限らず我々に出来る生き方とは、 自分なりの生きる意義を見つけ、死や生きる事の虚しさから逃避し、死ぬまでその問題を先延ばしにするか、 生きる事は虚しいと言い続け、生きる事の理不尽性を噛みしめながら生きるしか無いのです。
あなたはどちらを選びますか? |